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    質屋の昔話

    岡山の質屋かなみつ質店です。

    質預かりや買取も致しております

    これからのお話は質屋全体の事ではなく当店が経験した事柄です。

    独り言だと思って面白おかしくお聞き下さり、

    昔の金光質店は「こんなんだったんだ」と思ってお読みください。

     

    また最近は質屋とは何? 

    売るのとは何が違うのとお客様からご質問が時々ありますのでそこからお話をしていきます。

    売るのはご存じのように簡単な事でお客様の持ち物を当金光質店に売って、

    交換に現金をお支払いすることです。

    質預かり、質商はお客様の持ち物を担保にお預かりしてお金をお渡しいたします。

    そしてまた貸付金額とお利息を頂いてお返しいたします。

    期限以内3か月に引き取りに来られない時は流れる事になります。

    元に戻らない事です。つまりお客様は先に受け取った金額を質屋は品物が質屋の物になります。

    督促はなく実行されます。これは質屋営業法に定められた事柄です。

    ただし、期限内にお利息を頂ければ再契約で実質流失期限は延長されます。

    まあ、早く出された方がお得ですが。

    以上にも法律では免許が二種類必要です。

    質預かりは、質屋営業許可証。買取りは古物商許可証が必要です。

    どちらも公安委員会からの発行です。

    そして二つともお客様の持ち物であることが必須です。

     

    さて、 ざっと戦後の昭和20年始め頃からの質屋お話からです。

    質草(お預かり品は)衣類が多かったようです。

    まず着物ですかね。化繊もあり正絹(絹)もあり、

    今でもですが正絹にも上質とそうでない物があります。

    ただそれは着物の種類、織った地域によって色々です。

    例えば大島紬は大島、加賀友禅、牛首紬などです。

    それらにより査定金額が変わっていました。

    現在も同じですね。

    他に当時は背広と言っていましたがスーツですね。

    金額が決まるポイントは生地のメーカー。

    国産か欧州特にイギリスかそして使用頻度です。

    そして使用頻度がポイントでした。

    それはズボンのお尻のテカリ具合です。

    当時は自転車での移動手段が多かったためここが光ってくるのです。

    大きく光るのと光っていないのでは大きく値段が変わりました。

    まだ日本が発展途上であり、繊維製品が一般家庭の財産の主だった物だったのでしょう。今から思うと家電製品はラジオや白熱電灯位ではなかったのではないでしょうか。岡山市の古い地図を見ると繊維工場が今の岡山市内中心部に多数会った事がうかがえ、繊維工業が産業の中心であったことがみえてきます。

    元論焼き物や、美術品など骨董品も沢山の財産品が他にもあった事でしょう。

    以前広島の質屋組合の方々と昔の質物についてお話を伺ってことがあります。

    それは隣の県でも知らなかった悲しいお話しでした。

    「戦後は靴もお預かりしていたらしいですね」と話していると、

    「広島はあるものか」と、何?と思ってると原爆で何もない全部焼けたと話されておりました。

    余談でしたがそもそも今回のブログを書くきっかけになったのは、

    ズボンのテカリで査定金額が決まっていたと家族で話題になったことがきっかけでした。

     

    それからお預かり品は時代と共にカメラ、家電製品、白黒テレビから始まり

    カラテレビビ ビデオVHS ベーター ウオークマン 電子機器 時計は日本製やセイコー シチズンなどスイスの時計は精工だ。舶来はやっぱりすごいとの時代でした。機械式ネジ巻き時計 自動巻き クオーツ デジタル時計と安価で精度の良い腕時計と変わりさらに今では高級時計へと変わってきました。

    宝石にしてもダイヤの立て爪は0.1ctから次第に大きくなったり、

    それに使われる貴金属は古い順番にK14WGからK18WG PT500てのもありましたねー プラチナはPT600 PT750  PT850  PT900 PT1000てのもあります

    これも月賦とゆうわれた時代からカード支払いと時代の流れの変わりようでしょう。

    質屋の預かり品、小売り販売価格、必需品、贅沢品との変わりようは、

    戦後日本の変わりようが質屋を見てもわかるような気がします。